医院の特徴
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院長挨拶

小野寺記念たけなか医院院長の竹中由希夫と申します。

大学卒業後、関東の大学病院や市中病院で勤務していましたが、大病院の勤務においては外来診療以外にも病棟業務など多忙で、時間的な制限に悩まされてしまうジレンマ、また自身の体力のなさに苦悩する日々でした。そのような中、松島町で長くにわたり小野寺医院を経営され患者さんやそのご家族、スタッフに愛される小野寺仁至先生にお会いして、この病院の一員として働くことで今後の医師人生がより豊かになるかもしれないと感じました。幸運にもこの医院での勤務が許されたので、微力ながら地域の皆様の役に立てるよう2015年より当院に勤務しております。

私が理想とする診療は「自分の限界を知り、迅速な対応をしつつ症状緩和の努力をする」です。小さい診療所ですので限られた物的、人的資材しかないですがそれを活用し、診断ひいては治療のために大きな病院への紹介もためらわずに診療を遂行していくのが使命だと思っております。

また、この地に縁もゆかりもない私ですので、地域の皆様が不安に思われないように、自己紹介をさせていただきたいと考えました。長文ですがお読みいただければ幸いです。

生い立ち

0歳の私と祖母です

私は神奈川県川崎市の内科開業医の長男として誕生しました。父は内科医で母は薬剤師でした。種々の事情は分かりませんが4歳の時に両親が離婚し、父も母もいなくなってしまい、行く当てのない私を父方の祖母が引きとってくれました。父は近くには住んでいましたが、すぐに再婚し新しい家庭を築いており、接点は少なかったですが学費や生活費は捻出してもらっており、大変感謝しております。

このような幼少期の出来事もあり、小さい時から内向的であまり人と上手く喋れず、列に横入りされてもそのまま黙っているような子供でした。小学校4年生の時に祖母から「人と接するのが苦手なようだから、せめて学歴は箔をつけなさい」といわれ、中学受験を目標に塾通いをしながら勉学に励み、私立駒場東邦中学に入学しました。

停滞した中高時代

当時は83kgありました

入学後は成績は中の下もしくは下の上くらいで、日々をなんとなく過ごしていた時期です。歴史や文学は好きなので将来は文系に進もうと思っていましたが、高2の選択科目決定の際にある先生から、「君は自分の人生なのにどこか他人事のようなところを感じる。いろいろな人と係わって直接的に人の役に立つ仕事をしてはどうか?」と言われ、内省するとそういった欠点はあると思いました。

実家も町医者であるし、直接的に人の役に立てるのは医師だろうと考え進路を変えました。あまり得意でない理系の科目の勉強に苦労はしましたが、結果として推薦で東邦大学医学部に入学しました。

挫折もあった大学

医学部入学後は推薦入学ということにあぐらをかき、大学1年生は1教科が4点足らず留年しました。当時の母校は1教科でも再試験で60点を下回ると進級不可でした。今思うと受験していない分際で勉強を怠った自分の甘さそのものです。留年した日の晩、学費を捻出してもらっている父に退学と即時就職を勧められました。しかし中途半端な高卒で就職するのも恐かったので、「結果は出すので退学だけは見逃して欲しい」と懇願し退学は免れました。学費は大変高額ですので父の言うことも当然でしょう。しかし当時の自分はとても悔しく逆恨みもしました。まさに未熟な私の人間性そのものだったと思います。

2回目の1年生以降は毎日コツコツと疑問や授業や実習の振り返りをして、知識を丸暗記ではなく、理由や過程を思考する癖をつけるようにしました。今でも日常診療の疑問はこまめに調べるようにはしていますが、この時にこのような習慣が身についたと思います。学業成績も少しずつ伸びていき、大学3年生の時は成績1位で進級することができました。その後はそれを維持できないのはその程度の能力なのですが、以後は進級につまずくことなく2007年に東邦大学医学部を卒業しました。

医師になってから

医師としての第一歩は母校である東邦大学医療センター大橋病院でした。当時、大学病院の初任給は128,000円でした。上司からは「医師として何にもできないのだから、手当をもらって教えてもらえることを有難く思いなさい」と言われたことを今でも思い出します。

学生からいきなり研修医として現場に出ます患者さんを前に全然動けない自分がいました。理論としての知識はあるのですが、机上の空論で技術や話術が全く追いつきません。長く現場にいる看護師さんの方がよほどスキルがあります。そのうえ看護師さんから患者さんへの対処を聞かれると「上の先生に聞いてきます」と言い、上級医の指示を伝えるだけの伝書鳩にすぎません。その程度で128,000円の手当をもらって経験を積ませていただいているので「有難く思いなさい」と言ったことも頷けます。泣きそうになりながら毎日病院へ行って患者さんを診て勉強し、複数の診療科を経験して少しずつ現場で動けるようになっていったと思います。

また、初期研修の時の胃がんの患者様との出会いで消化器内科を志すことを決めました。癌により胃の出口が狭くなっていて食事がほとんど食べられない患者様が、抗がん剤治療により通過障害が緩和され、通常の食事が食べられるようになった過程に感動を覚えました。その患者様の奥様がいつもご主人にお弁当を作っていらっしゃるのですが、ある日私の分のお弁当も作っていただきました。そのときの患者様と一緒に食べた弁当の味が今でも忘れられません。

このような出来事から研修終了後に東邦大学医療センター大橋病院の消化器内科に入局し、消化器内科医として大学病院や市中病院で勤務し、いろいろな経験をさせてもらったと思います。

最後に

皆さん病院はできれば世話になりたくないところだと思います。来たくないはずのところにいらっしゃる患者さんたちの気持ちを考慮し、症状の悩みから多少でも解放されることでよりよい人生を過ごせるようにお手伝いができる診療所でありたいと思います。人生の今までの苦労がこういったところに生きればよいなと願う次第です。

当院の初代院長の小野寺哲夫先生、2代目院長の小野寺仁至先生と比べ、未熟で若輩者ではあります。人手も少なく昔の病院と変わったところや対応できないことも多く、不便に思われることもあるかもしれませんが、永く地域の皆様に育てていただければと思います。最後まで長文をお読みいただいてありがとうございます。

医療法人社団邦友会 小野寺記念たけなか医院 院長 竹中由希夫

医院の理念

当院では以下を念頭に置いて日々の診療に当たっております。

  1. 様々なことで相談できる「かかりつけ医」として、
    患者さんがいざというときに頼れる診療サービスを可能な限り提供します。
  2. 患者さんの視点に立ち、必要とされるサービスが提供されるように心がけます。
  3. 患者さんと病院スタッフがともに病気に立ち向かう二人三脚の医療を目指します。
  4. 患者さんに思いやりのある地域のホームドクターを目指します。
  5. 患者さんにわかりやすく、安心できる医療を提供します。
  6. 近隣の地域基幹病院と連携し、必要に応じて速やかに専門病院にご紹介いたします。

連携医療機関

以下の医療機関が当院での主な紹介病院です。

  • 坂総合病院
  • 塩竃市立病院
  • 松島病院
  • 東北医科薬科大学病院
  • 仙塩利府病院
  • 独立行政法人 国立病院機構 仙台医療センター
  • 日本海員掖済会 宮城利府掖済会病院
  • 仙台厚生病院
  • 仙台市医療センター仙台オープン病院
  • 石巻赤十字病院
  • 仙石病院
  • 東北労災病院
  • 仙台東脳神経外科病院
  • JCHO仙台病院
  • 仙台市立病院
  • 中嶋病院
  • 宮城県立こども病院
  • 仙台赤十字病院
  • 東北公済病院

※緊急性のある場合や精密検査が必要な場合、当院では専門科のある総合病院や専門科クリニックに速やかに紹介いたします。
ご希望される病院は何処でも紹介可能です。何なりとお申しつけ下さい。

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